駒犬

 Enoch & Metatron 

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駒犬 暫定



神の救い

Alpha Omega
u n
口を開けた状態は「阿=始まり」を意味し、
口を閉じた状態は「吽=終わり」を意味します。

 阿吽は「始まり」と「終わり」を意味します。聖書に、阿吽に関する記述があります。

ヨハネ黙示録21:6-7
  21:6  そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。   21:7  勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

 命の水(=エリクシール)とは、馬頭星雲から届くエネルギー(=コズミックエネルギー)の事です。 聖書は、「阿吽が人の問題点に、エネルギーを与える。」と書いています。 コズミック・エネルギーはいろいろな性質があります。
  • 「若返り」
  • 「治癒や癒やし」
  • 「万難を排す力」、
  • 「何かを成したり、発見したり、創造する為の良きインスピレーションを与える力」
  • 「人々に集中力を与える力」
  • 「善行を選ばせる力」
コズミック・エネルギーは幸福の全てをサポートします。 つまり、コズミックエネルギーとは、「救い」そのものなのです。 「価なしに」の部分は、英語だと「free」なので、「無料で」とか、「自由に」のニュアンスもあります。 「見返り無しにいつでも」と訳す方が適当でしょう。 聖書的には、アルファでありオメガである神が、「人の問題点をいつでも救うから自由に受け取れ、見返りはいらない。」と言っています。 そして、勝利を得るためには、命の水を受け続けなければならないとしています。 つまり、幸せになるために阿吽を正しく置き続けろと言っているのです。人は救いのエネルギーを受け続ければ、自動的に善行(神の行い)をするようになります。 何故なら、幸運が良い選択が出来るかどうかを決するので。


サタンとは



 サタンはヘブライ語でsatan、アラム語satana。 一般的に、「敵」「反対する事」「神を訴える者」が意味だと言われています。 これは一般的なサタンの定義ですが、この定義は肝心な部分が抜けている。 「何」に反対するか?答えは「アルファとオメガを反対に置く事」です。

 実は、コズミック・エネルギーは、単なるエネルギーで、エネルギーには+と-があるのです。逆の駒犬は、人々に悪運(=悪魔の力)が貯まるように働いてしまいます。病気や事故に遇い易くなったり、犯罪を犯したくなったり、他人が苦しむ事を喜ぶようになったりします。また、人間関係が悪くなったり、失敗する選択を選びがちになります。人々を悪く導くのです。

       阿吽の順序が、善悪を決めるのです。

 サタンとは、逆の阿吽の危険性を理解しながら、阿吽を逆に置く具体的な人間の事です。「敵」や「神を訴える者」は決してサタンではありません。これは神の威光を利用する人間によっての都合で、改ざんされた定義です。創造主は、創造物の信頼など必要としません。全ての人は神の子であり、誰でも見返り無しに救いを受けられるのです。

正しい阿吽の設置法
Alpha Omega
口を開けた駒犬は訪問者から見て左側に設置すべきで、
口を閉じた駒犬は訪問者から見て右側に設置すべきです。

注意:中国の駒犬の様式は決して取り入れないで下さい。
    非常に間違え易いので。右と左を絶対に取り違えないで下さい。
    阿吽の駒犬は人の運命に、強烈に作用します。
    様式詳細はこちらを参照して下さい。




原罪とは

 原罪とは阿吽の効用を知らない事です。 ですから、阿吽の効用を知らないで逆に置く人は、サタンではありません。「原罪」を犯しているだけです。 原罪を「人は生来罪深い存在だ。」とみなす事は狂っています。 人は本来自責の念を感じやすいものです。この傾向を神の威光を利用する人々が悪用してきただけです。何故なら、かけひきでは、弱点を持つ方が不利だからです。この狂った考えは、彼らの集金に役立ちました。



まじないについて


 まじないとは、物品を設置したり、言葉を唱える事で、運の行方を変える事を言います。 まじないには2種類有り、神のまじないと、悪魔のまじないとがあります。 正しいまじないは、無意識に人に良い事をさせたり、人を幸せにします。 悪いまじないは、無意識に人に悪い事をさせたり、人を苦しみに陥れます。 聖書では、良いまじないと悪いまじないの区別が曖昧です。 まるで神がまじないを全否定しているかのように受け取れる箇所さえあります。 もし神がまじないを全否定するなら、私たちは祭壇を設置する事すら出来ません。 おかしな話です。 祭壇は良いまじないの集大成です。 そんな箇所は改ざんされた痕跡です。 神が見返りなく救いを供給する事を知られたくない人々によって。 頭ごなしにまじないを否定しないで下さい。 しかしながら、この件について誰かと争わないで下さい。 議論はあまり重要でないです。 何故なら、良いまじないは何人にも無意識に良い選択をさせるからです。 良いまじないをあなたの生活やあなたの敵の周りで実行して下さい。 人々は同時に幸せになれるのです。



偶像崇拝について

人を神格化しないで下さい。動物を神格化しないで下さい。物を神格化しないで下さい。 神の代理人を神格化しないで下さい。神は神です。何も神格化しないで下さい。 あなたが誰かを尊敬するのは自由です。でもその人は神ではないです。 あなたが誰かに従うのは自由です。でもその人は神ではないです。 あなたが何かを設置し、それを愛するのは自由です。でもそれは神ではないです。 駒犬は神では有りません。それは単なる装置です。だから崇拝しないで下さい。 阿吽の装置を何も崇拝しないで下さい。オリオン座の馬頭星雲も拝まないで下さい。

申命記4:19
また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである。

 神に何かを願うイメージには何の意味もありません。 願いを叶えるのはあなたか、他人です。神はそれを手伝うエネルギーを送っているにすぎません。 あなたがすべき事は、阿吽の装置(=駒犬)の傍に行く事だけです。 具体的な指示は自然に閃きます。


 赤羽八幡神社
 東京都北区赤羽台4丁目1−6
 location



マタイによる福音書7:1-15
  7:1  人をさばくな。自分がさばかれないためである。 2.あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 3.なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。 4.自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 5.偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。 6.聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。 7.求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 8.すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 9.あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 10.魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 11.このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 12.だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。 13.狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 14.命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。



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