駒犬 暫定神の救い
阿吽は「始まり」と「終わり」を意味します。聖書に、阿吽に関する記述があります。
命の水(=エリクシール)とは、馬頭星雲から届くエネルギー(=コズミックエネルギー)の事です。 聖書は、「阿吽が人の問題点に、エネルギーを与える。」と書いています。 コズミック・エネルギーはいろいろな性質があります。
サタンとはサタンはヘブライ語でsatan、アラム語satana。 一般的に、「敵」「反対する事」「神を訴える者」が意味だと言われています。 これは一般的なサタンの定義ですが、この定義は肝心な部分が抜けている。 「何」に反対するか?答えは「アルファとオメガを反対に置く事」です。 実は、コズミック・エネルギーは、単なるエネルギーで、エネルギーには+と-があるのです。逆の駒犬は、人々に悪運(=悪魔の力)が貯まるように働いてしまいます。病気や事故に遇い易くなったり、犯罪を犯したくなったり、他人が苦しむ事を喜ぶようになったりします。また、人間関係が悪くなったり、失敗する選択を選びがちになります。人々を悪く導くのです。 阿吽の順序が、善悪を決めるのです。 サタンとは、逆の阿吽の危険性を理解しながら、阿吽を逆に置く具体的な人間の事です。「敵」や「神を訴える者」は決してサタンではありません。これは神の威光を利用する人間によっての都合で、改ざんされた定義です。創造主は、創造物の信頼など必要としません。全ての人は神の子であり、誰でも見返り無しに救いを受けられるのです。
原罪とは原罪とは阿吽の効用を知らない事です。 ですから、阿吽の効用を知らないで逆に置く人は、サタンではありません。「原罪」を犯しているだけです。 原罪を「人は生来罪深い存在だ。」とみなす事は狂っています。 人は本来自責の念を感じやすいものです。この傾向を神の威光を利用する人々が悪用してきただけです。何故なら、かけひきでは、弱点を持つ方が不利だからです。この狂った考えは、彼らの集金に役立ちました。まじないについてまじないとは、物品を設置したり、言葉を唱える事で、運の行方を変える事を言います。 まじないには2種類有り、神のまじないと、悪魔のまじないとがあります。 正しいまじないは、無意識に人に良い事をさせたり、人を幸せにします。 悪いまじないは、無意識に人に悪い事をさせたり、人を苦しみに陥れます。 聖書では、良いまじないと悪いまじないの区別が曖昧です。 まるで神がまじないを全否定しているかのように受け取れる箇所さえあります。 もし神がまじないを全否定するなら、私たちは祭壇を設置する事すら出来ません。 おかしな話です。 祭壇は良いまじないの集大成です。 そんな箇所は改ざんされた痕跡です。 神が見返りなく救いを供給する事を知られたくない人々によって。 頭ごなしにまじないを否定しないで下さい。 しかしながら、この件について誰かと争わないで下さい。 議論はあまり重要でないです。 何故なら、良いまじないは何人にも無意識に良い選択をさせるからです。 良いまじないをあなたの生活やあなたの敵の周りで実行して下さい。 人々は同時に幸せになれるのです。 偶像崇拝について人を神格化しないで下さい。動物を神格化しないで下さい。物を神格化しないで下さい。 神の代理人を神格化しないで下さい。神は神です。何も神格化しないで下さい。 あなたが誰かを尊敬するのは自由です。でもその人は神ではないです。 あなたが誰かに従うのは自由です。でもその人は神ではないです。 あなたが何かを設置し、それを愛するのは自由です。でもそれは神ではないです。 駒犬は神では有りません。それは単なる装置です。だから崇拝しないで下さい。 阿吽の装置を何も崇拝しないで下さい。オリオン座の馬頭星雲も拝まないで下さい。
神に何かを願うイメージには何の意味もありません。 願いを叶えるのはあなたか、他人です。神はそれを手伝うエネルギーを送っているにすぎません。 あなたがすべき事は、阿吽の装置(=駒犬)の傍に行く事だけです。 具体的な指示は自然に閃きます。
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